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東京地方裁判所 平成6年(ワ)10220号 判決 1996年6月05日

原告

辻丸建常

被告

片野裕博

主文

一  被告は、原告に対し、金三三〇二万三八三九円及び内金三〇〇二万三八三九円に対する昭和六三年一〇月一五日から、金三〇〇万円に対する平成六年六月一五日から、それぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金八四一六万六二五〇円及び内金七六六六万七二五〇円に対する昭和六三年一〇月一五日から、内金七五〇万円に対する平成六年六月一五日から、それぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要(当事者間に争いがない)

一  本件事故の発生

1  事故日時 昭和六三年一〇月一五日午後四時三〇分ころ

2  事故現場 神奈川県中郡大磯町大磯五〇六番地先交差点(以下「本件交差点」という。)

3  原告車 原動機付き自転車

運転者 原告

4  被告車 自家用乗用自動車

運転者 被告

5  事故態様 原告が、原告車に乗車して、別紙図面のとおりの変則三叉路である本件交差点を<1>方向から<2>方向に向け直進したところ、<2>方向から<1>方向に向け対向進行してきた被告運転の被告車の右前部と原告の右足が衝突した。

二  原告の受傷と治療状況

原告は、本件事故によつて、右脛骨近位端骨折、右膝複合靱帯損傷等の傷害を負つた。

原告は、右傷害の治療のため、東海大学大磯病院に、昭和六三年一〇月一五日から平成元年四月二日まで一七〇日間、平成二年一月二二日から同年二月五日まで一五日間、平成二年一〇月一五日から平成三年五月一三日まで二一一日間、平成五年八月五日から同月二七日まで二三日間、の合計四一九日間入院し、その間及び同月二八日以降も通院して治療を受けた。そして、平成五年一二月四日、右大腿四頭筋の萎縮、左膝関節の不安定性、動揺性、右膝関節機能障害等の障害を残し、その結果、右膝関節が全廃状態の後遺障害を残存して症状が固定し、右後遺障害は、自動車保険料率算定会から、自動車損害賠償責任保障法施行令別表の後遺障害等八級に該当すると認定された。

三  責任原因

被告は、被告車を所有して、運行の用に供していたものであるから、自動車損害賠償保障法三条により、原告に生じた損害を賠償する義務がある。

第三争点及び争点に対する判断

一  医療過誤の主張

1  当事者の主張

(一) 被告の主張

本件事故によつて原告が負つた右脛骨近位端骨折、右膝複合靱帯損傷の傷害について、原告が、被告補助参加人の経営する東海大学大磯病院での治療を受けた際、同病院での原告に対する初期治療、手術に適切さを欠いたため、治療が五年間以上の長期間に及んだのである。すなわち、原告の靱帯断裂に対して早期に縫合手術が必要であつたにもかかわらず、これを行わなかつたため、原告の右膝関節の著しい不安定性と動揺性を招いた。脛骨外側から陥没部を持ち上げたものの、骨移植を行わなかつたため、骨癒合の遷延化を招くとともに、右脛骨の変形治癒を招来させた。脛骨の螺旋骨折と高原骨折に対する処置について、T字プレートを固定するスクリユーが短すぎ、固定方法も適切を欠いたため、外側顆部の骨片に固定力が生じず、近位外側顆部が後方に転位し、治癒の遷延化を招いた。前記傷害の治癒期間としては、受傷後二年間程度が相当であり、また、適切な治療行為を行つていれば、後遺障害もせいぜい一二級程度でとどまつていた。したがつて、右を超える期間の治癒及び後遺障害についての損害については、本件と相当因果関係がなく、被告は責任を負わない。

(二) 原告の反論

本件事故と原告の全治療期間に及ぶ損害との間に相当因果関係があることは明らかであるし、仮に、東海大学大磯病院での治療に医師の過失が認められるとしても、被告と共同不法行為となつて被告が全損害について賠償責任を負う。

(三) 被告補助参加人の反論

原告の受傷は、膝関節内骨折に脛骨中枢骨折、膝複合靱帯損傷と三重四重に外傷をもつた重度の障害であり、骨折の治療を優先させる必要があり、靱帯損傷に対しては、保存的治療に留めたものであり、靱帯再建手術を二時的に行うことにした治療方法は適切なものである。高原陥没骨折の治療方法は医学上議論が分かれており、骨移植が不可欠であつたとは言えない。内側側副靱帯の治療方法は、保存的治療と装具によるリハビリテーシヨンで十分である。T字プレートの固定は十分であり、不適切な治療行為があつたとは認められない。

以上のとおり、東海大学大磯病院での治療行為に不適切な点はなく、被告補助参加人に過失はない。

2  当裁判所の判断

被告の主張は、原告が本件事故によつて負つた傷害の通常の治療の経過で、被告補助参加人の過失があつたとの主張に過ぎず、その主張は、仮に、被告補助参加人に過失が認められるとしても、被告との共同不法行為になる旨の主張に過ぎない。したがつて、被告補助参加人に過失が認められると否とにかかわらず、被告が、原告に生じた損害の全体について賠償責任を負うことは明らかであり、被告補助参加人の過失の有無については判断するまでもなく、被告の主張は採用できない。

二  十二指腸潰瘍や肝機能傷害等の治療の影響

被告は、原告は、本件事故による治療の間に、十二指腸潰瘍や肝機能傷害等の治療も受けているので、東海大学大磯病院での治療の一部は因果関係が認められないと主張する。

乙九ないし一五によれば、被告主張のとおり、原告は、十二指腸潰瘍や肝機能障害等の治療も受けている事実は認められるが、これらは、本件事故による右脛骨近位端骨折、右膝複合靱帯損傷の傷害の治療を行つている間に、並行して治療も受けていたに過ぎず、後記のとおり、原告が、十二指腸潰瘍や肝機能障害等の治療を受けたことが、症状固定までの期間に若干の影響を与えたことは否定できないものの、東海大学大磯病院での右脛骨近位端骨折、右膝複合靱帯損傷の治療の相当因果関係まで否定されるものではない。

三  過失相殺

1  当事者の主張

(一) 被告の主張

被告は、本件交差点を通過するに際し、道路中央付近を時速約三〇キロメートルで走行していた。被告は、原告車が対向進行してくるのを認めたため、時速約二〇キロメートルに減速したものの、原告が、減速しないまま道路中央付近を進行してきた。被告は、衝突直前に危険を感じブレーキをかけたが、原告の右足と被告車の右前部が衝突したものであり、原告にも左側進行義務違反、徐行義務違反の過失が認められるので、原告の損害額の算定に際しては過失相殺すべきである。

(二) 原告の反論

原告は、道路左端を走行していた。本件事故は、被告が本件交差点を左折するため、道路中央部分をやや右にふくらむように走行した結果、発生したものであり、原告に過失はない。また、本件事故後、原告と被告との間で、過失相殺しない旨の合意があつた。したがつて、本件では、過失相殺は認められるべきではない。

2  当裁判所の判断

(一)(1) 争いのない事実、甲一、二、乙一ないし三、原告及び被告本人尋問の各結果並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができ、これに反する証拠は採用しない。

本件交差点は、別紙図面のとおりの変則的な三叉路であり、原告が進行してきた<1>方向の幅員は約三・六メートル、被告が進行してきた<2>方向の幅員は約三・九メートルである。本件交差点付近は、<1>、<2>の双方共、両側に民家があり、その塀の影響と、変則的な形態の影響で、<1>、<2>の双方共見通しは悪いが、交差点に近づくと、双方とも二〇メートル程度先まで見通せるようになり、進行してくる車両を確認することができる。

原告は、原告車を運転し、別紙図面<1>の方向から<2>方向に向かつて時速約二〇キロメートルで進行していた。原告は、本件交差点の中央付近を道なりにやや左に曲がりながら進行し、交差点を通過し終わりかけた別紙図面<3>の付近で、<2>の方向から対向進行してくる被告車を発見した。原告は、そのまま進行して被告車とすれ違おうと考え、減速せず、時速約二〇キロメートルで進行したところ、被告車の手前約三メートルの地点で、被告車と衝突の危険を感じ、ブレーキをかけたが、及ばず、被告車の右前部が原告の右足と衝突した。

被告は、被告車を別紙図面<2>の方向から<1>方向に向かつて、道路中央付近を時速約三〇キロメートルで進行していた。被告は、本件交差点手前約二〇メートル付近の地点を走行していた際、<2>方向から進行してくる原告車を発見したが、一旦、左側の民家の塀に隠れて原告車が見えなくなつた。被告は、そのまま被告車を進行させ、<2>方向に進行しようとしたが、本件交差点が変則的な形態であるため、本件交差点手前で速度を時速約二〇キロメートルに減速した。被告は、本件交差点手前で、原告車が本件交差点中央付近を通過して、対向進行してくるのを確認したが、原告車とすれ違えると思い、道路中央付近を時速約二〇キロメートルの速度で進行を続けた。しかしながら、そのまま進行して、すぐに原告車との衝突の危険を感じ、ブレーキをかけたものの、及ばず、被告車の右前部を原告の右足に衝突させた。

(2) 原告は、本件交差点を進行するに際し、左側の道路脇の側溝にそつて進行したところ、左折するため右に大きく膨らんできた被告車の右前部と衝突したと供述しているのに対し、被告は、本件交差点は直進するつもりだつたので、右側に膨らんで進行したことはない、原告車は、本件交差点の中央付近を進行してきたと供述しているが、本件交差点の原告車の進行態様としては、原告の供述に比して、被告の供述の方が、自然であり、原告の右供述部分は採用できない。

(二) 以上の事実によれば、被告は、対向車が進行してきたのであるから、左側進行を厳守して進行し、かつ、本件道路が幅員の狭い道路であるから、対向車とすれ違う際には、徐行して進行すべきであつたにもかかわらず、時速約二〇キロメートルの速度のまま道路中央付近を進行したという過失によつて、本件事故を起こしたものであると認められる。他方、原告にも、左側通行を遵守せず、かつ、<2>付近が幅員の狭い道路であるから、対向車とすれ違う際には、徐行して進行すべきであつたにもかかわらず、時速約二〇キロメートル程度の速度で進行した結果、本件事故にいたつたという過失が認められる。

これら、原告、被告、双方の過失の態様に鑑みると、本件では、原告の損害から二割を減殺するのが相当である。

(三) 原告は、過失相殺をしない旨の合意があつたと主張する。

かかる合意が、訴訟における過失相殺の認定を拘束するかはさておくとしても、被告は、かかる合意の存在を否定している上、仮に、原告主張のとおり、本件事故直後の段階の原告と被告の示談交渉の中で、加害者である被告が、自らの責任を認め、全ての損害を賠償する旨話した事実が認められたとしても、右は、当事者双方が、事実関係や損害額等、事案の全容を把握しない状況下での発言であるから、右の発言は、せいぜい、自らの過失を認め、誠実に対処し、相当な損害を全額賠償するとの意思の表明としか認められず、これをもつて、過失相殺をせず、全損害の支払いをする旨の合意があつたとまでは認定できないので、原告の主張は採用できない。

第四損害額の算定

一  原告の損害

1  治療費 二八六万四七四〇円

原告が、本件事故によつて受傷した傷害の治療のため、二六〇万五四二四円を要したことは当事者間に争いがない。また、甲七の一ないし一一五、八によれば、平成五年八月五日から平成六年四月一四日までの治療を受け、治療費として二五万九三一六円を支出したことが認められる。右は、症状固定後の治療費も含むが、原告本人尋問の結果によれば、右の治療は、機能維持のため相当な範囲内の治療と認められるので、治療費の合計は二八六万四七四〇円であると認められる。

なお、右の治療費のうち二六〇万五四二四円については、既に支払い済みであるとして原告は本訴において請求していないが、過失相殺を行う前提として、原告の全損害を認定しておく必要があるので、これを認定する。

2  入院雑費 四一万九〇〇〇円

原告は、本件事故によつて合計四一九日間入院して治療を受けたことが認められるところ(当事者間に争いがない)、入院期間が長期間に及んでいることを考慮すると、右入院期間中の雑費として、経験則上、一日当たり一〇〇〇円を要したと認められるので、入院雑費は四一万九〇〇〇円と認められる。

3  入院付添費 一八八万五五〇〇円

乙九ないし一五、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告は、右入院期間中付添看護を要したところ、原告の母親が付添看護をしたこと、付添費は、一日当たり四五〇〇円が相当であることが認められるので、入院付添費は一八八万五五〇〇円と認められる。

4  休業損害 二二四七万三二三五円

(一) 収入

原告は、鉄筋工として、訴外原田鉄筋こと原田孝一(以下「訴外原田」という。)から毎月平均三一万五〇〇〇円を、訴外岡田邦夫(以下「訴外岡田」という。)から月額三四万五〇〇〇円の、合計六六万円の収入があつたと主張している。

甲三の一ないし二三、原告本人の尋問の結果によれば、原告は、訴外原田に勤務する形態で鉄筋工の仕事をしていた外、訴外原田とは全く別に、個人で、訴外岡田から依頼された仕事を請負つていたこと、訴外原田からの収入は、稼働した日につき、一日当たり、一万五〇〇〇円であつたこと、訴外原田の仕事と訴外岡田からの請負い仕事は、並行して行つていたこと、訴外原田からの収入は、源泉徴収されておらず、また、原告は、少なくとも本件事故までの間、一度も確定申告等の税務申告も行つていないことが認められる。しかしながら、甲三の一ないし四によれば、原告が、訴外原田から、継続的に、稼働した一日当たり一万五〇〇〇円の収入を得ていたことは認められるものの、訴外岡田からの収入が、証拠上認定できるのは、昭和六三年八月二一日から同年九月二〇日までの三四万五〇〇〇円のみであり(甲三の五)、原告が、訴外原田の仕事と訴外岡田からの請負い仕事を並行して行つていたことに鑑みると、原告が、訴外岡田から、継続的に仕事を請負い、毎月三四万五〇〇〇円の収入を得ていたとは認められない。したがつて、一か月当たり六六万円の収入を得ていたとの原告の主張は採用できない。

他方、前掲各証拠によれば、原告は、鉄筋工として、少なくとも平均的な稼働状況であつたと認められ、源泉徴収はされていないものの、訴外原田から、本件事故前の三か月間に一日当たり一万〇二七一円(円未満切り捨て。以下同様。)程度の収入を上げていたことが認められること、原告は、日給月給で稼働しており、稼働月数が増えると収入も増額すること、金額こそ特定できないものの、訴外岡田からの収入があつたことも認められること、昭和六三年の賃金センサス第一巻第一表の男子労働者学歴計の賃金は年間四五五万四〇〇〇円であり、一日当たり一万二四七六円になることを考えあわせると、原告は、少なくとも、当該年度の賃金センサス第一巻第一表の男子労働者学歴計の賃金を得ていたものと認めるのが相当である。

(二) 休業期間

乙九ないし一五によれば、原告は、本件事故日である昭和六三年一〇月一五日から東海大学大磯病院に入院し、観血的骨整複内固定術を受け、その後、運動療法等で機能回復につとめ、平成元年四月二日に軽快退院したこと(入院期間一七〇日間)、その後、通院で、リハビリテーションのための運動療法を受けていたが、リハビリテーションも比較的順調で、平成二年一月二二日から同年二月五日までの間、プレート抜去のため一五日間入院したが、右退院後も、機能回復のため、運動療法のリハビリテーションを行なつたこと、平成二年一〇月一五日から平成三年五月一三日まで二一一日間、人工靱帯の挿入手術のため入院し、右退院後、機能回復のため、運動療法のリハビリテーションを行なつたこと、さらに、平成五年八月五日から同月二七日まで二三日間、プレートの抜釘ため入院し、その後は、通院で運動療法に努め、平成五年一二月四日に症状固定と診断されていることが認められる。右のような原告の症状、治療の経過、回復状況に加え、原告本人尋問の結果によれば、原告が、自ら鉄筋工として稼働するだけではなく、親方の代理で現場を回つて監督をしたり、指導したりする業務も行つていたことが認められることに鑑みると、原告は、平成三年五月一三日に退院した後は、相当程度の稼働が可能であつたと認められる。

したがつて、原告は、本件事故日である昭和六三年一〇月一五日から三度目の入院の退院日である平成三年五月一三日までの期間は一〇〇パーセント、その後は、同月一四日から平成五年八月四日までの通院期間中は七五パーセント、同月五日から同月二七日までの入院期間中は一〇〇パーセント、その後、同月二八日から症状固定日である同年一二月四日までの通院期間中は五〇パーセント、それぞれその労働能力を喪失したと認められる。ただし、原告は、平成三年五月一四日から平成五年八月四日までの通院期間中の、平成四年一〇月三一日から同年一一月二一日までの間、十二指腸潰瘍の悪化で(乙一二)、また、平成五年二月二五日から同年三月一六日まで胆汁の影響で(乙一三)、それぞれ入院している事実が認められ、この間は、本件事故がなくても原告は、労働ができなかつたと認められるので、右の期間は休業損害を認めるのは相当ではない。

(三) 休業損害額

以上の次第で、原告の休業損害は以下のとおりである。

(1) 昭和六三年一〇月一五日から同年末までの期間

昭和六三年の賃金センサス第一巻第一表の男子労働者学歴計の賃金である年間四五五万四〇〇〇円を基準とすべきであり、右は、一日当たり一万二四七六円になる。右期間は、七八日間であるところ、原告は、その間、一〇〇パーセント稼働できなかつたので、この間の原告の休業損害は九七万三一二八円となる。

(2) 平成元年一月一日から同年末までの期間

平成元年の賃金センサス第一巻第一表の男子労働者学歴計の賃金である年間四七九万五三〇〇円を基準とすべきであり、原告は、平成元年中は一〇〇パーセント稼働できなかつたので、この間の原告の休業損害は四七九万五三〇〇円となる。

(3) 平成二年一月一日から同年末までの期間

平成二年の賃金センサス第一巻第一表の男子労働者学歴計の賃金である年間五〇六万八六〇〇円を基準とすべきであり、原告は、平成二年中は一〇〇パーセント稼働できなかつたので、この間の原告の休業損害は五〇六万八六〇〇円となる。

(4) 平成三年一月一日から同年五月一三日までの期間

平成三年の賃金センサス第一巻第一表の男子労働者学歴計の賃金である年間五三三万六一〇〇円を基準とすべきであり、右は、一日当たり一万四六一九円になる。右期間は、一三三日間であるところ、原告は、その間、一〇〇パーセント稼働できなかつたので、この間の原告の休業損害は一九四万四三二七円となる。

(5) 平成三年五月一四日から同年末までの期間

平成三年の賃金センサス第一巻第一表の男子労働者学歴計の賃金である年間五三三万六一〇〇円を基準とすべきであり、右は、一日当たり一万四六一九円になる。右期間は、二三二日間であるところ、原告は、その間、七五パーセント稼働できなかつたので、この間の原告の休業損害は二五四万三七〇六円となる。

(6) 平成四年一月一日から同年一〇月三〇日までの期間

平成四年の賃金センサス第一巻第一表の男子労働者学歴計の賃金である年間五四四万一四〇〇円を基準とすべきであり、右は、一日当たり、一万四九〇七円になる。右期間は、三〇四日間であるところ、原告は、その間、七五パーセント稼働できなかつたので、この間の原告の休業損害は三三九万八七九六円となる。

(7) 平成四年一〇月三一日から同年一一月二一日までの期間

右期間中は、原告は、十二指腸潰瘍で入院中であるので、この間は休業損害は認められない。

(8) 平成四年一一月二二日から同年末までの期間

平成四年の賃金センサス第一巻第一表の男子労働者学歴計の賃金である年間五四四万一四〇〇円を基準とすべきであり、右は、一日当たり一万四九〇七円になる。右期間は、四〇日間であるところ、原告は、その間、七五パーセント稼働できなかつたので、この間の原告の休業損害は四四万七二一〇円となる。

(9) 平成五年一月一日から同年二月二四日までの期間

平成五年の賃金センサス第一巻第一表の男子労働者学歴計の賃金である年間五四九万一六〇〇円を基準とすべきであり、右は、一日当たり一万五〇四五円になる。右期間は、五五日間であるところ、原告は、その間、七五パーセント稼働できなかつたので、この間の原告の休業損害は六二万〇六〇六円となる。

(10) 平成五年二月二五日から同年三月一六日までの期間

右期間中は、原告は、胆汁の影響で入院中であるので、この間は休業損害は認められない。

(11) 平成五年三月一七日から同年八月四日までの期間

平成五年の賃金センサス第一巻第一表の男子労働者学歴計の賃金である年間五四九万一六〇〇円を基準とすべきであり、右は、一日当たり一万五〇四五円になる。右期間は、一四一日間であるところ、原告は、その間、七五パーセント稼働できなかつたので、この間の原告の休業損害は一五九万一〇〇九円となる。

(12) 平成五年八月五日から同年月二七日までの期間

平成五年の賃金センサス第一巻第一表の男子労働者学歴計の賃金である年間五四九万一六〇〇円を基準とすべきであり、右は、一日当たり一万五〇四五円になる。右期間は、二三日間であるところ、原告は、その間、一〇〇パーセント稼働できなかつたので、この間の原告の休業損害は三四万六〇三五円となる。

(13) 平成五年八月二八日から同年一二月四日までの期間

平成五年の賃金センサス第一巻第一表の男子労働者学歴計の賃金である年間五四九万一六〇〇円を基準とすべきであり、右は、一日当たり一万五〇四五円になる。右期間は、九九日間であるところ、原告は、その間、五〇パーセント稼働できなかつたので、この間の原告の休業損害は七四万四七二八円となる。

(14) 合計 二二四七万三二三五円

5  逸失利益 三四八二万九三七四円

前記認定のとおり、原告の逸失利益は、症状固定時の平成五年の賃金センサス第一巻第一表の男子労働者学歴計の賃金である年間五四九万一六〇〇円を基準にして算定するのが相当であるところ、原告は、後遺障害等級八級相当の四五パーセントの労働能力を喪失したと認められる。

原告は、症状固定時四二歳であつたので、本件事故によつて、労働可能な年齢である六七歳まで二五年間の得べかりし利益を喪失したものと認められる。したがつて、原告の逸失利益は、右の五四九万一六〇〇円に、労働能力喪失率四五パーセントと二五年間のライプニッツ係数一四・〇九四を乗じた額である金三四八二万九三七四円と認められる。

6  慰謝料 一〇〇〇万円

原告が症状固定までに要した入通院期間が長期間に及んでおり、その間の原告の精神的負担は相当のものであつたと認められること、他方、乙一五には「慢性肝炎が急性憎悪していると思われます。運動負担は肝への負担を大きくすると思われます。リハビリテーションはできるだけ軽く(日常生活以下)してください。」との記載があること、平成四年一〇月三一日から同年一一月二一日まで、十二指腸潰瘍の悪化で(乙一二)、また、平成五年二月二五日から同年三月一六日まで胆汁の影響で(乙一三)、それぞれ入院していることなどに鑑みると、原告の機能回復の経過に、本件事故とは無関係の持病の慢性肝炎等が影響を与えていることは否定できないこと。さらに、原告の後遺障害の程度、その他、本件における諸事情を総合すると、本件における慰謝料は、傷害慰謝料が三〇〇万円、後遺障害慰謝料が七〇〇万円の合計一〇〇〇万円と認めるのが相当である。

7  合計 七二四七万一八四九円

二  過失相殺

前記のとおり、本件ではその損害から二〇パーセントを減額するのが相当であるから、その結果、原告の損害額は五七九七万七四七八円となる。

三  既払金 二七九五万三六三九円

原告が、自賠責保険から七五〇万円、被告から二〇四五万三六三九円の合計二七九五万三六三九円の支払いを受けたことは当事者間に争いがない。

四  損害残額 三〇〇二万三八三九円

五  弁護士費用 三〇〇万円

六  合計 三三〇二万三八三九円

七  遅延損害金

原告は、弁護士費用については、本訴状送達の日の翌日である平成六年六月一五日から、弁護士費用を除く損害については、本件交通事故の日である昭和六三年一〇月一五日から、それぞれ支払済みまで年五分の割合による遅延損害金を求めているので、本件では、右損害額の内金三〇〇二万三八三九円に対しては昭和六三年一〇月一五日から、金三〇〇万円に対しては平成六年六月一五日から、それぞれ遅延損害金を認める。

第五結論

以上のとおり、原告の請求は、被告に対して、金三三〇二万三八三九円及び内金三〇〇二万三八三九円に対しては昭和六三年一〇月一五日から、金三〇〇万円に対しては平成六年六月一五日から、それぞれ支払済みまで年五分の割合による金員支払いを求める限度で理由があるが、その余の請求は理由がない。

(裁判官 堺充廣)

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